それってプロポーズ?昭和世代の出会いから今の幸せまで

家族・人間関係

こんにちは!【心を整える専門ノート】へようこそ。
この記事は、夫との出会いを書いたもので、ちょっと恥ずかしいのですが、今の幸せの原点なので、勇気を出して公開します。紆余曲折あったけれど、今は幸せになりました。息子が唯一、やってみたいことにスキーがあります。3人でスキーに行きたい、息子に教えたいと思っています。
今回は昭和世代の私たち夫婦の、出会いから結婚までのお話です。

北海道ニセコスキーツアーで出会った夫

北海道ニセコスキーツアーで知り合った夫。私が21歳から24歳のシーズンに行きました。23歳までは「スキーの友達」というスタンスでした。まさか結婚相手になるなんて思っていませんでした。
私は2年目のニセコツアーで、羽田空港に朝7時に集合だったのに、なんと寝坊してしまい、どうしよう・・と思いながら大急ぎで着替えていました。その時父親は、「早くしろー!」と車で羽田まで送ってくれました。父親には感謝です。
着いたのは8時。もう飛んじゃったかな・・と思いましたが、なんと飛行機(ジャンボジェット)は待っていてくれたのです!当時、ツアーで空席があってはならないとか、満席になって初めて利益が出るようなことでしたので、私のせいで1時間も遅れて飛行機は出発しました。今じゃあり得ません。未来の夫となる人が、「常習犯!」と一番キツい言葉をかけてきました。私はごめんなさいの繰り返し。こんなキツい人と結婚するなんて、マジでないと思っていました。

バスの中で自己紹介

ニセコに着いて、ツアーバスの中、旅行会社の社長はとても陽気で、前の座席からマイクを回して自己紹介しました。彼は会社の同僚と参加して4人で来ていました。私は社長と仕事で面識があったので単独での参加でした。飛行機を待たせた前代未聞のツアー客の私は「本日はどーもすみませんでしたー」としか言いようがなくて早々とマイクを回しました。彼の会社の同僚は、「仕事が忙しすぎて彼女ができないー!」と叫んでいました。みんな肉食ですか?草食人間はいなかったですね。北海道スキーツアーは10万円くらいしましたが、まだバブル景気だったので痛くもなかったです。

飲み放題のジンギスカン

ニセコの夜はジンギスカンで、みんなで食べに行きました。美味しかったですね~。
でもね、「恐怖の割り勘」ですよ!飲み放題だったので飲んだもん勝ちって、不公平ですよね。でもみんな気にせず払っていました。バブルだったせいかもしれません。ジンギスカンでお腹いっぱいになって宿に戻る時は、その送迎バスに乗せてくれました。雪で固めた道路なのに、すごいスピードで運転していました。雪道の運転に慣れている従業員さんもノリノリで運転くれました。

ニセコの宿は「ハイジの家」

道路もすべて雪で固めてある、ニセコの宿はハイジの家で、送迎バスで到着しました。館内はすごく暖かくて、ストーブを全館ガンガンにかけて、男性軍はみんなTシャツを着ていました。部屋には2段ベットが2つ向かい合って、修学旅行のようでした。私たちツアー客の貸し切り状態。みんな大騒ぎで、まるで子供のようにはしゃいでいました。1987年頃、昭和62年でした。まだ携帯電話も全くない、友達とは会って話すか、電話で話すかしかない。だからこそ会えた時に楽しかったと思います。

最後の夜は、札幌「すし処大節」

札幌の握りずしの食べ放題なんて、すごい贅沢ですよね?回転寿司じゃありませんから。食べきれないほどの新鮮なお寿司と、お鍋もあり、取り皿によそうのは、私でした。ここで「嫁になったなら」という目線で見られているのは承知の上で、頑張りました。大節でもらった分厚い湯飲みが残っています。美味しかった、楽しかった、お金も使いました。ここでも「恐怖の割り勘」でした。それでも楽しかったことが大きくて、美味しい北海道のお寿司をお腹いっぱい食べて、心も満たされました。

来年また来ようね!

スキーシーズンにしか会わない友達。来年またニセコに行こう!と話して解散してから、いつからか、彼(現在の夫)と頻繁に会うようになりました。私は付き合ってるという感覚はなく、当時、ビリヤードが流行ってましたから、プールバーに一緒に行ったり、代々木競技場の中でモトクロスバイクのショーを見に行ったりしていました。イチャイチャすることもなく対等に話ができる、スキーの友達。LINEなどない、会って話してみないとわからない人柄です。お互いにそれは当たり前でしたから、今の「会わなくても話ができる時代」が来るなんて考えられませんでした。

それって、プロポーズ?思い出の銀座ライオン

銀座のライオンというビヤホールで、ジョッキで乾杯してドイツのソーセージを食べたり、何をしゃべっていたのか忘れましたが、「僕ってお買い得だよ」なんて言ったのです。「はぁ~?」と思いましたが口には出さず、帰り道に信号待ちをしていたら、彼は私のつないだ手をぎゅっと握りしめてきました。

それから1年くらい後でしたか、1990年6月に結婚しました。
銀座ライオンでのあの言葉、それってプロポーズだったのでしょうか?お買い得かどうかは、結婚生活で判断していました。ちゃんと働いてくれるし、お給料も全額渡してくれる、管理はみんな私です。「幸せになるかどうかは、私が握っている」だなんて言われました。プレッシャーかけてるの?まあいいけど、それからあっという間に36年経ちました。子供も女の子と男の子に恵まれ、二人で必死に働いて、忙しくてストレスのせいか、よく喧嘩をしていましたが、やっとわかり合えてきた今がとても幸せです。今までお世話になった方々に感謝しています。

ここまでお読みいただきまして、ありがとうございます。
まだまだ人生続きます。さらに楽しい人生をこの令和時代でも実現したいと思います。
昭和世代の皆様へ、あの頃の熱量は半端ではなかったですよね?思い切り遊んだ昭和世代のお話で、たくさんの方と喜びを分かち合いたいと思います。


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