こんにちは。【心を整える専門ノート】へようこそ。
新婚当時は、モラハラと言う言葉は無くて、亭主関白な夫に奴隷のごとく扱われる毎日。付き合っていた頃の優しい心を信じて実家を捨てて結婚したのに、嫁ぎ先でも地獄だった絶望感。前置胎盤により大出血で命がけで生まれた小さな娘。この子を育てなければの一心で、モラハラに耐え、料理や家事も頑張って、自分の居場所を確保して、絶対に負けないという強い心で生活していました。今、夫の支配や理不尽な暴言に耐え「もう私の人生には光がないのではないか」と孤独に震えていませんか?そんな妻たちが救われるように、私の夫との戦いをお伝えしたいと思います。
結婚は初めが肝心?モラハラ夫の暴言と理不尽な支配
私が毒親から命からがら逃げ出した先で待っていたのは、新婚早々から始まる夫のモラハラでした。「まずいものを並べるな」「俺はモテるんだからな、浮気したら離婚だぞ」
出産という命がけの大仕事を終えたばかりの私に対して、夫からのねぎらいの言葉は一言もありませんでした。新婚生活はただただ苦痛そのもので、「こんなことなら、結婚なんてしなければよかった」と、涙を流した夜は数え切れません。今振り返れば、妻の心身の限界にも気づけない夫は、あまりにも「世間知らず」で、思いやりに欠けていたのだと思います。
産後のボロボロの身体に浴びせられる、無神経極まりない仕打ち。なんと私の額に頭突きをされたことがあります。すごく痛かった、何するのよって思います。アゴに大きなニキビができていた私に、そのにきびを指で押されて、「ニキビ!」と言われた時、旦那の頬に思わず平手打ちをしました。化膿しているニキビを押されてすごく痛かった。二人きりの空間で、誰も見ていない、モラハラどころかDVかと思う、結婚は『失敗』の文字が点灯しました。それだけではありません。妊娠4ヶ月でのあまりにも悲しい我が子との死別。小さな棺を抱きしめ、引き出しに遺骨の一部をそっとしまい、涙が枯れるまで泣いたあの日。
けれど、私は絶望のままでは終わりませんでした。
産まれたばかりの長女に母乳をあげながら、こんな男と結婚して幸せなど感じられない、子供なんて作らなければよかったと感じた27歳の私。不妊手術をしてやれば良かったか、でも2度の流産を乗り越えて、4年後に生まれてきてくれた長男に支えられながら、私はある時、心に決めたのです。子供たちを立派に育てると。
夫のやりたい放題に振り回され続けた私ですが、ただ黙って耐えていたわけではありません。「この不条理な亭主関白に、どう対抗して生きていくか」を必死に模索し、自分の尊厳を守るために戦ってきました。
悩んでいるあなたに、私が身をもって知った「解決への第一歩」をお伝えします。
- 夫の「世間知らず」をあなたのせいにしない
ねぎらいが無いのは、あなたの努力が足りないからではなく、夫側の人間性の問題です。「私が悪いんだ」という呪縛をまず解いてください。- 「苦痛」を当たり前にしない
「結婚生活はこういうものだ」と諦めないでください。「結婚しなきゃよかった」と思うほどの苦痛の中にいる自分を、まずはあなた自身が「よく頑張っているね」と抱きしめてあげてください。- 小さな「対抗」から始める
夫のルールに100%従うのをやめ、子どものペースを最優先に守り抜くこと。それ自体が、立派なモラハラへの対抗策になります。歪んだパワーバランスは、今からでも変えていけます。まずは、あなたの心がこれ以上すり減らない選択をしていきましょう。
家庭内別居を半年間強行して、ひとりにさせた妻の逆襲
私を見下したり、支配的な言動に我慢の限界が来て、半年間にわたる緊迫の「家庭内別居」を強行しました。一切の感情を排した「おかえり」の一言だけを言う、さっさと2階に上がり先に寝る私。
ひとりにされた夫は誰かいなければ何も言わないだろう。愛情の反対は「憎しみ」ではなく「無関心」です。一人になったリビングで、夫がどれだけ酒を飲もうが私は完全に無視を貫きました。
義母が亡くなってから変わり始めた夫でしたが、会社では不遇の万年主任。「上司が悪い」「会社は労働者をやめさせられない」と言う夫は、それをいいことに、高い給料をもらっていたのにもかかわらず、会社の要求は答えられず、ショムニのような部屋で1日中パソコンに向かわせるような「干されて」いた状況。そして墓場と呼ばれる部署に左遷されて、これまで苦労したことのない夫は、この素晴らしい会社でお金をもらいながら得難い苦労をさせてもらい、常識のある人間に変われたのが、定年を目前にした59歳の頃でした。夫婦だからといって妻が奴隷になる、なんてことはあってはなりません。私は自分の心と人生を守るために、できるところから「小さな戦い」をしていました。
左遷先で出会えた優しい上司に、スタート地点に戻してもらえた幸運
本当に奇跡を感じた、左遷先の墓場と呼ばれる事業所で、優しい上司との出会いにより、スタート地点の事業所に転勤させてもらえました。本当に感謝しかありません。脚を向けて寝られません。そしてスタート地点の事業所で定年まで勤めた、朝6時の電車で2時間かけて仕事に行く夫は、帰宅時にYシャツがヨレヨレになり、疲れ切っていました。苦労をしていると思われる身だしなみの乱れで、会社での立場を想像しました。上司に今後の業務遂行方針を書いた時、『誰も教えてくれない』と書いたことを聞いた私は、驚きました。『いい年してなに新人みたいなこと言ってんの⁈。教えてくれるわけないでしょ、自分で気が付かなきゃダメでしょ⁈』と言ってやりました。提出した上司に、「ちょっと」と手招きされ、「これってひどいんじゃないの?」と言われたこと。当たり前です。夫ができなかった仕事を上司のせいにしている、自分に能力がないことを認めない夫。以前に本社に転勤になった時『俺の上司は社長だ』なんて言う、馬鹿な奴。『あんたは主任でしょ?上司は課長か部長だよ!』そこまで私に言われないとわからない手遅れ男。それからすぐに会社の墓場と言われる部署に転勤になりました。そこで結婚指輪を失くして、指輪が無いと落ち着かないという夫に、私は、事業所の社員さんたちに「指輪捜索依頼」をメールしたら?と言いました。すると、社員の皆さんは忙しい中、すぐに実行して下さり指輪を探し出してくれました。ちゃんとお礼を言ったのかどうかわかりませんが、指輪捜索依頼メールを送ったのだから、「見つかりました。ご協力ありがとうございました。」というお礼メールを送っていなかった夫。当たり前のことができない、やはり墓場に左遷される理由がわかりました。
再就職まで半年、夫は無職 年金をもらえるまで切り詰めた生活
夫の定年退職後、朝から晩まで顔を見たくない私は、午前4時に出勤するゴルフ場の仕事に就きました。時給1000円なのに扶養から外れ、手取りが12万程でした。正月休みも盆休みもない、月・火曜日だけの休日。働かないと食費が出ない、退職金をもらっても住宅ローンのボーナス分を一括返済して、毎月9万円近くする住宅ローンを返済するために、働くしかなかった私。保険会社での営業は辛すぎるので辞めて、不動産会社や派遣会社でも働きました。帰るとすぐに夕飯の支度で休む暇はなかった。一日中働くことに限界を感じていました。不動産会社での業務は夕方6時までなので、とても家事ができないのですぐに辞めました。家庭と仕事の両立がどれほど難しいのか、改めて知りました。
無職なのに酒を飲む夫
働いてないのだから、酒なんて飲んでる場合か!と言いたかった私。私と子供が食事をしているのに、向かい合う席でテーブルに臭い足の裏を見せて酒を飲む態度の悪い夫。毎晩のように晩酌するのはいい加減にしてほしい気持ちでした。夕方の番組で1200円のラーメンに激怒し、「俺は食わない!」と大声で言う、あまりに大声でテレビに向かって文句を言う、「うるさいな、あんたに聞いて無いよ、絶対あんたと食事に行かない」と思う私。仕事もないのにストレスがあるのが不思議でした。夕方4時半くらいから、まだ明るいうちに酒を飲みだす夫。それから2時間ぐらいずっとビールから始まり、焼酎をロックで呑む。真っ赤な顔をしてご飯を食べられない、おかずだけは食べてウトウトする。アル中男。そんな酒浸りな夫を見るのも辛かったです。
仕事が決まり、現役並みのお給料をもらえるようになった奇跡
現在勤務している仕事は4年目になるでしょうか。後輩も入社して、夫は何でも知っているような先輩になりました。事務所には車で2時間かかるので朝早くから出勤します。休日出勤の時もある、忙しい仕事です。自分で予定を立てて、お客さんの発電所に点検に行く、草刈りも行う、ハードな仕事です。それでも頑張って働いてくれる夫は、昔の自己中心的な夫ではありません。ついに私は、対等なパートナーへと「更生」させました。ここまで長かったですが、2人で努力してきた結果が、今の平穏な生活に変わり、毎日暑い中、外で仕事をしている夫に感謝しています。モラハラ夫と結婚して不安だった毎日から最後には「感謝」の言葉をかける人生を手に入れました。
今でこそ、夫に対して「うちは居酒屋じゃない!」と言い返せる私ですが、ここに来るまでは本当に長い長い地獄のような道のりがありました。
新婚時代の強烈な亭主関白、毒親からの逃亡、そして何より、2度の流産と、わずか4ヶ月で亡くなってしまった我が子との別れ……。半魚人のようになってしまった我が子の棺を開けることすらできなかった私は、完全に絶望の底にいました。
そんな私たちが、どうやって36年かけて夫婦の絆を結び直し、家族を再生させてきたのか。
ブログの枠には収まりきらなかった、我が子との涙の記憶や、満員電車で闘う夫とのリアルな葛藤を、1冊の物語に込めています。
今、夫との関係や人生に迷い、苦しんでいるあなたへ。この本が、あなたの心を少しでも軽くする雨宿りの場所になれたら嬉しいです。
👇本日発売の新刊はこちらからお読みいただけます
『半魚人の我が子を抱きしめて: 絶望の底から夫婦で紡いだ、36年目の家族再生バイブル』
(著:望月 凛)
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございます。
夫は今月誕生日で、66歳になります。身体年齢はなんと44歳です。休日にはジョギングしたり長い散歩をして鍛えています。私は61歳で、仕事は引退して、すでにこのブログがライフワークとなりました。読者の皆様から1個でも既読が付くと、とても嬉しいです。どんなお悩みがあり、このブログをクリックしてくださったのか知りたい、その胸の内をお聞きしたい一心で、新しい記事を考えて執筆しています。これからもどうぞよろしくお願いします。
皆様のご家庭に、安らぎと温かさのある、幸せが満ちていますように。
夏休みももうすぐ終わります。
別サイトで大相撲の記事を書いています。もしよかったら覗いてみてください。
(アドレス:https://katsukity.com)
9月になれば令和8年9月場所が国技館で始まります。とても楽しみにしています。


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