こんにちは。【心を整える専門ノート】へようこそ。
10月も後半になり、カレンダーは最終ページにめくられようとしています。この一年は、娘の出産から新しい人生が開かれたような、変化の1年になりました。息子も転職を成功させて、12月には東京の会社にスーツで通います。今までのようなキツい3交代勤務は卒業して、新たな道へ進みます。子供を立派にする目標を、今二人の子供たちは自分の力で達成してくれました。よくやったと褒めてあげたいです。
超自立した人間になった娘
娘の二人目の出産は、陣痛から約3時間で生まれた、超安産でした。入院中は長男を面倒見た婿が、なんと育休を取れなかったことを理由に、退職しました。娘のために辞めたと言いましたが、本心は何だったのかを考えていました。家を買ったばかりなので、住宅ローンも利息でいっぱいの中、娘の稼ぎだけで、しかも産休と育休を使って今は子育てしているのに、生活できるのかと心配していました。娘の家に行った時、「幸せにしかならない」という娘は、旦那が無職でも「髪結いの亭主」と言われた昭和時代と違い、自分の稼ぎで夫や子供たちを養える、超自立した人間になっていました。
職業訓練している婿
フォークリフトを操作する仕事をしていた婿は、辞める直前には事務方になっていました。パソコン操作をしていたと思うので、何の職業訓練かはわかりませんが、パソコン操作の関連するものだろうと思います。今はAIが普及しているので、どこまで理解できるのかわかりませんが、相変わらず人手不足なので求人には困らないと思います。まず家庭を大切にしている婿さんは、娘と将来の展望を明るくイメージしているのでしょう。医療従事者の娘をサポートしながら育児も関わり、頑張る今は、自分の選択を正解にするために努力しているのでしょう。柔軟な考えを持つ婿は、愛する妻にさらに愛されるように、臨機応変に対応できる人間だと思います。娘が婿の給料も知らずに結婚して大丈夫かと思った私の心配をよそに、夫の人格を認めて結婚した答えが、もうすぐ見えてくると思います。
学校帰りにディズニーランドに誘われて困った娘の高校時代
両親は筑波の研究員という家庭の友達に、よくTDLに誘われていましたが、私はそんな金額のお小遣いを渡していなかったので、TDLのお誘いは断るしかありませんでした。お嬢様が多く、弦楽部のある学校での新入学説明会では、弦楽部によるバイオリンとビオラの生演奏を聞かせていただきました。素晴らしい演奏を生で聞かせてくれる学校に入学させることができて良かったと思いました。でも、友達は皆お嬢様で、お年玉をたくさんもらえたという話を、学校で聞かされて、何でうちはこれだけなの?と娘に言われたものでした。「それが家庭の事情だよ」と私は言いました。納得できない娘でしたが、お金は働いて初めて得られるものだということを植え付けたいと思いました。
中学の頃からの夢:稼ぎたい、結婚したい、子供も産みたい!
娘とはよく一緒にお風呂に入り、湯船で将来の事を話したりしました。大人になったら稼ぎたい、結婚もしたい、子供も産みたいと言う娘は、とくに稼ぎたい、自分の力でお金を得たい気持ちが強かったと思います。それは小学校の6年生の頃、テストで100点取ったら100円をあげる、お小遣いは歩合給制にした私のせいでしょうか。すると、学期末には20枚くらいの100点のテストを見せられ、2000円くらい渡したと思います。後からでも出て来る100点の答案。この子のポテンシャルはすごいなと思いました。また6年生の理科の授業で、豚の解剖をさせてもらえました。血を見た男の子は何もできなかったところに、娘は興味津々で、豚の目玉をくりぬいて、中を切ったら水が出てきたと感動していました。また、豚の腎臓が、繊維の塊だったので、この腎臓で尿をろ過しているすごさに驚き、今度は人間の体はどうなっているのか興味を持ち、今の医療従事者になったきっかけになりました。
アルバイトの予備校で親御さんがお礼に来る、有名になった娘
家に近い国立大学に進んだ娘は、軽自動車で通学して、勉強は学校に泊まり込みで夜中までかかり、駅前の予備校でアルバイトで4年間働き、家には金曜日に帰って来てお風呂に入って寝るという生活をしていました。まったく疲れを知らない、24時間働いているようでした。黒いパンツスーツはジャージのようになり、生徒さんもたくさん増え、担当していた生徒さんの第一志望を叶え、親御さんがお礼に来るほど信頼されていました。また、進学校のOGとして、たびたび体育館の壇上に上がり、2.3回スピーチを頼まれたことがありました。詳しくはあまり聞いてませんでしたが、高校の先生方は娘に直接頼んでいたので、親の私は全く関係していません。予備校のイベントでも、大きなホールでプロジェクターを使い、光るさし棒でプレゼンしていました。「時間を大切にすることなのです!」と画面を叩いたとか言っていました。高校の頃から自己肯定感があったのだろうと想像します。それでなければ、ここまでの経験は出来ないと思います。いつのまにか大人になった娘ですが、私の前では子供っぽいことを言います。今では子育てのわからない事はチャットGPTに聞いているようです。私は何も教えることがなくなったので、少し寂しいですが自分の人生を頑張って生きている娘は、何があっても大丈夫でしょう。
4年生ママになった娘と、4歳の長男、手のかからない5ヵ月の長女
中学生の頃、稼ぎたい結婚したい子供も産みたいと言った娘は、すべて願いは叶えました。また、家まで買って、順調な「幸せにしかならない私」と言う感じです。すべては勉強を頑張ったこと、中学校生活も落ち着いた生活ぶりだと、通知表に先生からの言葉をもらって、中学2年生の時の3者面談では、見事にオール5の通知表を見ながら、私は「あーはっはは!私の娘としては出来すぎです」と言ってしまった私。娘はおかしくて笑っていました。先生も大笑いで、きちんと「先生方のご指導のおかげです」と言えば良かったのに。今でも娘からあの面談はウけたと言われます。4歳になったやんちゃな男の子の孫は、保育園で英語の動画をいつも見ているので、日常会話が英語なのです。私の家でも「What?」とか言うので、「Can you speak Japanese?」と聞きたいです。すでに日本語会話が問題なくできるようになり、娘も育てやすくなったと思います。孫娘も自分の親指をしゃぶり、眠ってくれるようになり、ここまで来るには息子はもっと遅かったと言います。楽しくなった子育てから、来年には仕事復帰する娘は、超忙しい毎日が待っています。それでも幸せにしかならないことを信じて、日々努力するのでしょう。
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございます。
あっという間に子供が大きくなり、私は還暦を過ぎました。育てるのに一生懸命だった頃は、こんなに子供が頑張っていたとは知りませんでした。こうしてブログに書いてみると、改めてすごいなこの子という想いでいっぱいになります。手が離れても血縁関係は変わらない、母親は私しかいないので、何かあったら駆けつける、娘家族は近いところに住んでくれています。
皆様のご家庭も、お子様が大きくなったらとても楽しいと思います。自分の育てた子供を信じて、幸せを掴むことを諦めない強い気持ちを育てたいと思います。
皆様のご家族のご健勝とご多幸をお祈りいたします。

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