こんにちは。【心を整える専門ノート】へようこそ。
「親に虐待されたわけでもないのに、なぜか自分に自信が持てない」と悩んでいませんか?世間で言う分かりやすい『毒親』ではないからこそ、『生きづらいのは自分のせいだ』と自分を責めてしまう。もしあなたが今そんな苦しみを抱えているなら、少しだけ私の子供時代の話をさせてください。実は、自己肯定感を削る原因は、毎日の『食卓』や日常の小さな歪みに隠されているかもしれないのです。
家族の生活よりも「自分の世界」を優先し続けた母
私の母はある時期から、特定の宗教活動に猛烈に傾倒していきました。
誤解のないように言うと、私はその信仰自体を否定したいわけではありません。それで心が救われる人がいるのも事実でしょう。しかし、当時の我が家にとって、それは家庭崩壊の引き金でしかありませんでした。
母は右腕がポリオにより麻痺しており、腕を上げることができませんでした。子供ながらに『完璧を求めてはいけない、文句を言ってはいけない』と必死に自分を納得させていましたが、問題は体の不自由さではなく、心の配慮のなさでした。
ビジネスの命綱である家業(保険代理店)の専用電話に座布団をかぶせ、鳴っても無視して一心不乱にお経を読み続ける日々。父が帰ってきたら「電話なかった?」と聞いたら、あったのに「なかった」と答える母。私は嘘をついている母を見て、なんでそうなの?という気持ちでした。
また、まだ赤ん坊だった妹の世話を小学生の私に託して平気で宗教の会合に出掛け、赤ちゃんだった妹にミルクを作って飲ませたら、母に怒られました。泣いたからと言ったのに、ミルクじゃないよおむつだよ!とすごい剣幕で怒られた、面倒を見た私にありがとうの一言もなく私を怒る母。最低だなと思った11歳の私。私が学校から帰って来たら家の鍵が閉まっていて、私を締め出したりするようになりました。家はマンションの6階なので、飛び降りてやろうかと思いました。ドアを引っ張っても蹴っても開かない。そのうち帰ってきた母は手ぶらで食品などの買い物ではなく、また宗教の会合に行っていたことが分かった時、5年生の私は許せない気持ちになりました。
小6の私が抱え込んだ「家族が壊れる恐怖」
父はその活動をひどく嫌っていました。お客さんがその宗教の信者である人には、話しても通じないからその宗教を毛嫌いしていました。ある日、母は父を騙して、私を毎週日曜日の会合へ出されました。
1時間以上も正座をさせられ、ただただお経を唱えさせられる時間は、幼い私にとって苦痛以外の何物でもありませんでした。ついに耐えかねて、私が「もうヤダ!」と声を上げたとき、母は逆切れして、「もう誘わないよ!」と言い放ちました。
本当は、そのことをすべて父にぶちまけ、助けを求めたかった。でも、父がこれを知ったら、母は半殺しにされるかもしれない―。小学6年生の私は、自分の恐怖よりも「家族がバラバラになるのを防ぐこと」を選び、その秘密を自分の胸にだけ収めることにしたのです。
料理ににじみ出る「配慮のなさ」と、お腹を満たせなかった子供時代
しつけは、毎日の食事から始まります。ですが、私の実家ではその『食育』が一切期待できませんでした。ある日、姉の子供と実家に来た時、けんちん汁を食べた甥が泣きそうに「おいしくない」と言ったら、母が嫌な顔をしたのを覚えています。確かに美味しくなかった、どうやったらこんなにまずくなるのか、アクの取られていない苦いけんちん汁のほかに、焦げたカレー、トマトピューレを瓶ごと入れた塩分たっぷりのしょっぱすぎるぼてぼてしたミートソース。周囲から「なぜあなただけ痩せてるの?」と聞かれるほど、私は母の料理がマズすぎて苦痛でした。朝食も用意されず、ふりかけや佃煮だけで済ませる日々。学校の給食だけが、私の命綱でした。学校で熱が出ても、給食だけは食べて早退していました。
大人になってからも、母の配慮のなさは変わりませんでした。
私が戦場のようなパートで新居の住宅ローンのために必死に稼いだ86,000円の給料を『給料もらった?ちょうだい』と平気で電話してきました。『このお金は住宅ローンのために稼いだお金だから、あげられない』と断りました。すると母は逆切れして電話をガチャ切りしました。また、急に新居にやってきては「この家は5000万するね?」と品定めをするように、お風呂を見せてと言ったりしました。
70歳を過ぎた頃には、孫を連れて帰ろうとする私に向かって「正月は金がかかるから来るな!」と大声で拒絶し、10年以上もお年玉をくれませんでした。そんなお年玉なんかはいらないですが、長女である私のどこが嫌いなのかわからなかった。「なぜおばあちゃんはお年玉をくれないの?」という娘に、「これが家庭の事情ってもんだよ」と答えました。夫から「他人みたいな実家だね」と言われて、他人様でもそんなことは言わない。それ以下だと思いました。
死後まで続いた母の冷酷さと、受け継がれた「配慮のなさ」の言葉
そしてその配慮のなさは、母がこの世を去った2022年10月にまで及びました。
残された母の遺言書には、私の名前は一切書かれていませんでした。家もすべて妹へ。死んでもなお、娘である私への配慮を完全に放棄した母のその遺言書を見たとき、「ああ、これがこの人の正体だったんだ」と、あまりの冷酷さに乾いた笑いが出るほどでした。産んでくれなくてもよかったのに!と母の写真に言いました。
妹は私に「相続を放棄しろ」と言ってきましたが、私は過去の自分の努力と痛みを報われるようにそれを断りました。妹から「お姉ちゃんが納得する金額っていくらなの?」と聞かれ、遺留分があるから、でも私はあえて波風を立てず、控えめに50万円を提示してその場を綺麗に収めました。それが、私の大人の引き際でした。
母のその「他者への配慮のなさ」は、恐ろしいことに次の世代にも影を落としていました。
父が亡くなった後、家業を継いだ妹が私の家に生命保険の営業に来た時のことです。あろうことか、妹が設計した私の夫の保険を説明する際に、妹は夫の目の前で平然と言い放ちました。
「この保険は、死ぬのを待っているかのような保険なんです」はぁ?どういう意味なのか。そんな悪い保険を売りたいのかあんた。2万4千円なの月々!。そんな営業だから売れないんだと納得しました。以前、母から妹が生命保険を契約取れないと相談されたことがありました。こればかりは才能ですから、できない人は一生できないのです。私は才能があったから保険で長く働けたのだと、納得しました。
意味不明なその言葉のあまりの不謹慎さと無神経さに、夫も私も言葉を失いました。人の命を預かり、家族の万が一を支える仕事へのプライドも、姉夫婦への最低限の敬意もそこにはありません。母から始まった『他者への想像力の欠如』という歪みは、こうして形を変えて、家族の中に連鎖していくのだと痛感した瞬間でした。
負の連鎖を断ち切り、私は「まともな親」になった
かつて母から唯一教わった料理は、砂糖が大量に入れられた、ひどく甘いほうれん草の黒胡麻和えでした。でも私は今、その味付けをやめました。
私が今、家族に出すのは、減塩しょうゆで砂糖を入れない、体に優しいお浸しです。丁寧に茹でたほうれん草に、ほんの少しの醤油を落とし、鰹節をふわりとまぶす。
そこには「食べる人の健康を願う」という、かつての実家にはなかった大切な配慮と愛情が詰まっています。長男の産後、「3人目は気をつけなよ」と言った母の料理に、一切箸をつけずに無言で抗議した夫。それから翌日、母は手伝いを止めて家に帰って行きました。
母の冷たさに傷つきながらも、まっすぐに育ってくれた子供たちにはありがたく思います。
今では、私が作った料理の味を娘はしっかりと覚えていて、孫に再現して食べさせてくれています。
これこそが、本当の『食育』ではないでしょうか。
私は親から美味しい料理も、正しいしつけも教えてもらえませんでした。しかし、自分の代でその呪縛(負の連鎖)を完全に断ち切り、まともな親になることができたのです。
まとめ
もしあなたも今、「親を毒親と呼ぶほどではないけれど、なぜか生きづらい」と悩んでいるなら、どうか自分を責めないでください。あなたは何も悪くありません。
毒親に見えなくても、心が毒で充満していた母は、優しい時もあったけれど、本音は冷酷でした。
親からもらえなかった丁寧なケアや温もりは、もう期待しないで。今から、自分の手で自分自身や大切な人に与えていけばいいのです。甘すぎる胡麻和えを、体に優しいお浸しに変えた時のように、私たちはいつからだって、自分の人生の味付けを自分で変えていくことができます。
人間、年を取ると心の綺麗さが顔に出ると言いますが、本当にその通りだと思います。70代になり白髪の母の顔は、どこか鬼のように険しく、目つきが鋭く、冷酷な正体が隠せなくなっていました。新しく建て替えた実家で、私に向かって「玄関の鍵はこのスイッチでかけられるんだ」と私を家に入れない気持ちを言い放つ姿に、そういう人間だったのねお母さんは。と思いました。その後、80代になり徘徊するようになり、認知症を患い施設へ入所、2022年10月にコロナによる肺炎で86歳で亡くなった母。
虐待された子供時代、毒親から育てられた私が、結婚により家を出て、一生懸命働き、夫と共に今の幸せを築いてきた私が、どん底のメンタルからどうやって這い上がり、親の呪縛を解いてきたのか。
その具体的な心の再構築術については、私のKindle本『親の呪縛は関係ない、どん底から這い上がった私のメンタル再構築術』にも詳しく書き残しています。同じように苦しむあなたの心が、少しでも軽くなるヒントになれば幸いです。
また、私の初めて出版したkindle本『出すぎた杭は誰にも打てない: ~15万円の牢獄から、自由の8万6千円へ~』も発売されています。この本は、辛い子供時代から、25歳で実家を脱出して結婚後34歳で初めて掴んだ「時給950円」のパートで、はじめて自由を感じ、自分の中にいる「ボス」だけを信じ抜き、結果を出したことが綴られています。望月 凛(もちづき りん)という私のペンネームで書きました。もしよろしかったらお手に取ってみてください。
「今の環境から逃げ出したい」「自分を好きになれない」と悩むすべての人へ。
負の連鎖を断ち切り、自らの名前で立つ強さを手に入れた一人の女性による、魂の再生記です。
※本を手に取って下さった皆様、ありがとうございます。kindleのHPを確認いたしました。
私の想いを受け取ってくださり、本当に感謝しています。
皆様の明るい人生が、ますます輝くことをお祈りしています。
ここまでお読みいただきましてありがとうございます。
皆様の明るいご家庭を大切になさってください。温かい家庭から子供たちも幸せになれますよね。
今後もどうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。


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