こんにちは。【心を整える専門ノート】へようこそ。
暑い日が続いていますが、皆さまご体調はいかがでしょうか。気温が30度を超えて40度近くなるところがあります。そんな日は、家でクーラーを作動して28度以下の室温になるように設定して、水分を摂りながらゆっくりしてください。熱中症とは、脳がゆで卵のようになってしまうことだと、医学部を卒業した娘が言ってました。脳みそは、豆腐よりやわらかいそうです。大学で解剖した経験があり、献体頂いた方の脳を真ん中から開き、「脳みそは白い」と思ったそうです。
夫の子供時代:働いていた義母
夫が小学生の頃でしょうか、「子供の頃、貧乏だったからお菓子がなくてね・・」と言い、いつもたくさんお菓子を買って置いてくれる夫。学校から帰って来てもおやつがなかった淋しさをよく覚えているようです。また、お義母さんが働いていたので、おじいちゃんに遊んでもらっていたようです。夫は子供の頃の話を断片的に話してくれるのですが、「台所の隅でお母さんが泣いていた」と言うのです。そんなに大変だったの?と思いました。そしてお母さんは涙を拭いて、仕事に行くようになったのだと思います。私の想像ですが、泣いている場合ではないと思ったのでしょうか。ずっとスーパーマーケットで働いて、夕方帰ってすぐに夕飯を作る、休む暇もなかったのでしょう。
家で待っていた私と初対面の義母
福岡の夫の実家に、その年の年末から来ていた私は、玄関で仕事から帰ってきたお義母さんに初めて会いました。とても元気な感じの、明るいお義母さんでした。夫の話では、夕飯はいろんな料理を作って食べさせてくれたと言います。その料理を習いたいと思いました。お雑煮を一緒に作り、鶏肉でだしを取り、ゴボウや京人参が入ったお雑煮です。お餅は丸餅で、茹でたほうれん草とかまぼこを乗せていただきました。とても美味しかったことを覚えています。
義父の病気:大動脈瘤
焼酎を静かに飲む義父は、「うちでは遠慮はせんでいいよ」と言う優しい人でした。私の長男を抱っこして遊んでくれた写真が飾ってあります。明るいお義母さんと優しいお義父さんで、義兄夫婦と甥と、賑やかなお正月を迎えました。家族団らんとは、こんな感じなのねと思いました。私の家とは全く違う、普通の家庭とはこういう感じなのだと思いました。
義父はまだ60代の時に、大動脈にテニスボール大のこぶができていて、声がかすれてきたのを義母が「おかしい」と思い、病院に連れて行ったらすぐに入院になりました。人工心肺を使った、当時は100万円程かかる大手術をしました。
献身的に支えた義母の、隠していたSOS
お義父さんの看病と仕事で、お義母さんは体力的にとても大変だったと思います。無事にお義父さんは退院しました。しかし、もっと具合が悪かったのはお義母さんでした。食事を摂ろうとすると吐き気がすると言うので、お義父さんの手術をした病院に行くと、「検査入院」ということで即入院になりました。夫が、「検査入院?どうしたの?」と電話で聞いていましたが、実家に帰ったら「胃がん」だとわかりました。それもかなり進行していたようで、こんなに進んでいたら、絶対転移していると先生に言われて、夫はがっくりして帰ってきました。
手術はできない:抗がん剤の投与
抗がん剤の効果もあり、宣告されたであろう余命が一年近く伸びたようでした。肌の色が黒くなり、痩せていくお義母さん。それから、自力で歩けなくなり小さくなってしまったお義母さんは、私たちが駆け付けたあとの晩から、明け方に病院で息を引き取りました。ベッドの上で苦しそうなお顔で固まっていた、本当に苦しんで亡くなった義母。健康診断も受けずに働き、私たち夫婦は何もできなかったのが申し訳なく思っています。家で眠っているようなお義母さんに、お化粧をしました。お義母さんの肌はとても固く冷たい、私の手のひらが記憶しています。
相続してわかった、山林を2つ所有していた義父
義母が亡くなってから20年後に、義父が亡くなりました。相続のために義兄が所有物を整理していた時、山林を2つ所有していることが分かりました。それは義兄が相続しました。夫が幼い頃、信用金庫に勤めていたはずの義父は、それほどお金に困ってはいないと思いました。でも義母が台所で泣いていた事実は、生活費を渡していなかったのかと思ってしまいます。その分、山林を購入する費用に回していたと思いました。そんな生活で、義母は67歳の若さで亡くなるまで仕事をしていました。そこまで仕事に駆られていたのは何故だろうと考えていましたので、義父が山林を所有していたのはショックでした。家族の生活より財産が欲しかったのか。小学5年生頃の夫が、祖父に育てられ「夫はわがままだ」と感じていた理由がそこにあったのだろうと思います。
おわりに
私がお嫁に来て「安心したー!」と言ってくれたお義母さん。まだ67歳でした。最後の勤め先は病院の調理室でした。「人のお世話がしたい」と言った尊い考えをもっていました。
繰り上げた年金で私たち夫婦に何かしてあげたいと言ってくれたのに、お義母さん早すぎます。
それから20年後に、お義父さんも他界しました。
お義母さんを失くして20年、ひとりで頑張ってきたお義父さん。心臓の弁に病気が見つかっても、誰にも迷惑をかけたくないと、治療しなかったという義父らしい潔い旅立ちでした。
今頃、天国でお義母さんと一緒に私たちを見守ってくれていると思います。
命の時間は限られています。元気でいるうち、生きているうちに、言いたいことは言って、やりたいことはすぐにやる。失敗しても生きているなら大丈夫です。神様に与えられた時間を、大切に使いたいと思います。
61歳になった今だから話せる、「私の毒親」という重りを外して自由に生きるための、仕事と心の整え方をまとめたkindle本を発行しました。私の結婚前の実家での家業は、大変な苦労を強いられたものでした。結婚により実家を脱出して自分の人生を夫と共に築いた奇跡を綴りました。
『親の呪縛は関係ない: どん底から這い上がった私のメンタル再構築術』望月 凛(もちづき りん)
もしよろしかったらお手に取ってみてください。
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございます。
まだ暑い日が続いております。熱中症にはご注意されて、健やかなお盆休みになりますように。
皆様のご健康とご多幸をお祈りしています。


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