こんにちは。【心を整える専門ノート】へようこそ。
結婚して36年、私たちはお互いに「よくもった」と言い合う夫婦になりました。それは何度も喧嘩して何度も別れるつもりで生活してきた、サバイバルのような家庭でした。
いま旦那さんのモラハラや浮気、自分勝手な行動に泣いているあなたへ。私の夫はかつて、新婚の時、一緒にお風呂に入り、夫が「夫婦は尻ぬぐいする同士じゃない」と言い放ち、「いつ私が尻ぬぐいさせたのよ!」と水をぶっ掛けました。長女が生まれて授乳中の私に、美女に挟まれてご満悦の写真を自慢するバカ野郎でした。でも今、我が家は最高に幸せです。その大逆転の秘密を全て書きます。
新婚~若手時代の「勘違い夫」の暴挙
結婚して1年はスキーを一緒に行って楽しかったのですが、長女が生まれ授乳中に、会社のパーティで、美女に挟まれてご満悦の写真を見せられ『俺はこんなにモテるんだぞ』『浮気をしたら離婚だからな』と、自分のこと言ってんのあんた?と思い、こっちのセリフだよと思いました。娘に母乳を飲ませているさなかにそんなことを言う、空気を読めないバカ野郎が、モテるわけないと思い、破り捨てようかとその写真を見ましたが、後で笑ってやろうと思い、アルバムに貼りました。長女が4歳の時に息子が生まれ、育児は忙しくなりましたが、寝る場所もなかった社宅のアパートに住んで、福岡に里帰りをするために、ボーナスから30万くらいかかりました。おまけに、ボーナスの8%を小遣いでよこせという、そんなことだからお金が溜まりません。「もう帰省するなら一人で行けば?!」と言った私は、一人にされたくない夫など無視して、子供たちを育てることでいっぱいでした。乳児を飛行機に乗せるなど、私がシートベルトをして子供を抱っこして、急降下したら息子が浮き上がるじゃない!という危険性もわからなかった夫。帰省したって、どこにも連れて行ってくれない、暑くて狭い福岡の家で、ご飯を食べて片付けて、洗濯して畳んでとかの繰り返し。玄関を勝手口かと勘違いした夫の実家で、次男の嫁の私は、風呂は最後。挨拶に来た親戚に、お年玉を姪に渡したら怒られました。「何で子供に渡すんだ?」と非常識だという感じで、誰も味方になってくれませんでした。親にあげるのお年玉?私はカルチャーショックで、タクシーを呼んで先に家に帰ろうかと思いました。電話のある玄関で、タクシーの電話番号を探していました。それを実行したら、今の私はここにいませんでした。
因果応報:会社での「失脚」と「どん底」
夫は30代の時、会社でバトミントン部に入りたいとの事で、毎週水曜日に近くの体育館で部員を集めて練習していました。そこで知り合ったと思われる若い会社の女性と、発売されたばかりの携帯電話で、Cメールをしていました。夜11時頃にやり取りをしている、馴れ馴れしい会話を見ると、不適切な関係なのだと思いまいた。Yシャツの袖のボタンに、私のものではない長い髪の毛が絡まっており、これは遺伝子検査を出そうかと思ったほど、長くて茶色い髪の毛でした。そんなことをしていた夫は、会社ではどのグループにも入れてもらえず、干されていました。不倫の噂のせいだなと直感しました。そして部署の異動があり、ショムニと思われる4人でパソコンの前に座らされ、一日中、狭い室内で取説を読んだり掃除などをしていました。「俺に何しろと言うのだ」と家で言っていました。使えないからどうしようもないのだとわからない夫。ある日、会社見学のご案内係をやってくれと頼まれたのに、「それは業務範囲ですか?!」と言い捨て、態度が悪すぎます。当たり前じゃない!業務範囲だよと思います。会社から頼まれる仕事ができなくて、なぜ自分の好きな仕事をさせてもらえないのか、わからない夫。手遅れというか、変わらない頑固さ、わがままさを、会社でも発揮してしまい、それでもクビにしないで出向という命令がありましたが、本社にご栄転かと思いきや、初めから墓場の事業所に左遷予定だったと見た私。しかし左遷先でなんと優しい上司に巡り合えました。
本社への奇跡的な転勤から、2か月後に墓場と言われる事業所への左遷
本社へ『ご栄転』が決まった夫が、送別会でなぜか退職祝いのような巨大な生け花を抱えて帰ってきました。あの時の不気味な予感は、2か月後に的中します。夫が行き着いたのは、会社の墓場と呼ばれる事業所でした。夫の「使えない人間」としての噂。そして本社行きの謎。私のパート先で働いていた「本物の優秀な同僚の奥さん」との会話から、「ああ、夫はただの『厄介払い』だったんだ」と全てを察しました。感謝することができない、謙虚と言う言葉を知らない夫。本社経由で墓場行き・・。
なぜそこに転勤になったのか説明しない、自分で理由が分かっているような態度を見ました。その部署は遠く、片道30kmありました。そこにある旋盤加工を覚えようと、本を買って来たり勉強する気持ちがあるようでした。その当時、お給料は急降下して、あり得ない金額でした。なんと私は難病で入院中の時でした。その頃の夫は精神的におかしくなったと後で言いました。それでも奇跡としか思えない、優しい上司がいて「君はどの事業所からスタートだったのか」と聞いてくれて、千葉県の柏ですと答えたら、そこに転勤させてくれて戻してくれました。足を向けて寝れないその上司は、転勤になってしまい、お礼も満足に言えなかった世間知らずな夫でした。
妻の哲学:苦労を知らない夫には、とことん苦労させる
夫が40歳の時に、私がパートに出て働き始め、家を買うことになりました。その前に、夫の不倫疑惑があったので、昼間から子供が見ている前で、女とCメールしていた容疑で、携帯を投げつけ「この女と私と子供たちの、どっちを取るんだー‼」と怒鳴りました。子供たちは大泣き。その光景を今でも忘れられないと言います。かわいそうな子供たちですが、言わなければならない私は、「別れるなら家はいらない!」と言い切りまいた。離婚届も用意していました。まだ長男が2歳の頃です。しかし目が泳いでいる夫は完全に否定していましたが、会社の子だよ!と言い、私の想像通りでした。そんな奴だったから、会社で必要とされるはずはない、でも辞めさせなかったのは、転職先は見つからないだろうと踏んでいたからです。その10年前、結婚前にこの会社に転職した頃、私の実家近くの事業所でスタートした夫は披露宴で、仲人から「私と結婚するためにうちの会社に来た」だなんて言われてしまい、最悪な披露宴でした。付き合う前には大阪で勤務していたので、やはりこちらに戻りたかったのか、求人雑誌の広告欄の小さな募集記事で入社してきた夫。寮に入り、16万円のお給料で働いていました。
定年までの夫は、窓際族
上長たちとの朝の会議に入れてもらえるようになり、朝早くから電車に乗り通勤していました。バスにも乗りましたが、遅くて歩いた方が早いと思い、よく歩いて行きました。体は痩せて行き、スーツがぶかぶかになりました。帰って来た時はYシャツも乱れて、クタクタになっていました。よく60歳まで働いてくれてたと思います。定年後に見せてもらったデスクの写真は、完全に窓側に向いているデスクでした。パソコン画面が後ろから丸見えで、ここによく座って満足していたのが不思議です。でも頑張って定年退職して、「高そうな日本酒」と「夫婦で呑むおちょこ」をもらったり「7万円相当の品物」を買って頂きました。本当に有難く思います。
戦場のような私のパートと、夫の本物の愛
家のローンを払うために働いていた私のパート時代は、戦場のような部署で、同僚に嫌がらせをされて泣いて帰ってきたことがあり、それを見るたび夫は「課長に言いに行こうかと何度も思った」と言いました。世渡りが下手で、交渉もできず、すぐキレる男だけど、この人は私を愛してくれている。その実直さと不器用な愛があったから、私は「この男を絶対に定年まで働かせてやる」と腹を括れました。苦労を知らなかった夫は、会社の墓場で苦労をしたようです。墓場から戻れた千葉県まで、満員電車に揺られて通勤する、逃げずに定年まで勤め上げ、人並みの退職金を頂き、今、私たちは幸せを感じています。あの新婚時代の「モテ自慢の写真」をアルバムに貼った私は、今、本当に夫の隣で笑えています。
定年後の仕事は、半年で解職 最後のお給料は、わずか3円
定年後、ようやく働くことにした夫は、電気工事士の経験と電験三種の資格を持っていたので、会社が見つかりました。待遇も良く、もったいないほどのお給料でした。たくさんの担当企業があり、電気設備の点検の仕事でした。ある日、帰りが遅いなと思っていた日、事故で病院に行ってきたという夫は、指先を負傷して帰ってきました。どうしたの?と聞くと、触ってはいけないところを触ってしまい、担当企業を停電にさせてしまった、大失態をやらかしたのです。何百ボルトという電流が流れているので、感電したら死亡します。過去にもそのような事故で亡くなった人がいたようです。夫は命だけは助かり、本当に幸運でした。一歩間違えば感電死、という事故で、相手企業様や雇い主様に、申し訳けありません。翌日は休むように言われ、その日は会社の上司たちが謝罪に行ったと思われます。最後のお給料は、この事故の復旧に掛かった代金として給料から引かれ、残りはわずか3円の振り込みがありました。初めは何のお金かわからず、後から書類を見ました。細かく円単位で損害金を計算されていました。残りが3円という金額が書いてありました。こんなに迷惑を掛けてしまったことは申し訳けないですが、夫が生きて帰ってこられただけ良かったです。次は絶対に同じ間違いをしないと思います。
まとめ
旦那が完璧である必要なんてない。世渡り下手でも、馬鹿でも、自分を愛してくれるひとかけらの真実があるなら、妻の私がどっしり構えて働かせればいい。自分の人生の手綱を、夫や親に握らせてはいけない。と書きながら思いました。誰だって完璧な人はいない。誰のために働くのかを明確にしている人は、きっと妻を幸せにしてくれます。今、夫婦関係で悩んでいる女性がいましたら、もう一度ご主人と腹を割って話して、ご主人の真意を確認してください。二人で幸せになることを誓ったのでしたら、実現するまでご一緒に頑張りましょう。
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございます。
こんなに長編を書いたのは久しぶりです。これで私の中から、もやもやが消えました。頑張っている夫に感謝して、今日も美味しいご飯を作りましょう。
皆様のご家庭に、楽しい日常の幸せが届きますように。
夫の左遷や、最後の給料3円という大事件。それでも私がビクビクせず、どっしり構えていられたのは、過去に私の実家に大問題があり、本当のどん底を経験し「何があっても自分を信じて耐え抜く」という覚悟ができていたからです。世間ではよく「環境や親のせいで自己肯定感が低くなる」と言われます。しかし、毒親育ちの私はあえて言いたい。「本当に親のせいなのか?自分が甘えているだけではないか?」と。私がどん底から培ってきた、本当の意味での「自己肯定感(自分を信じる技術)」についての哲学は、こちらの記事で本音をすべてぶつけています。
➡️ 【リンク:毒親じゃないのに自己肯定感が低いあなたへ】


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