亭主関白な夫と対峙した新婚生活。義母の涙と早死の訳、地獄を見て来た私の決意

家族・人間関係

こんにちは。【心を整える専門ノート】へようこそ。
桜の開花とともに生まれた私。母からの話では、予定日を過ぎて、家で破水したようです。病院に駆け込んで、父が看護婦さんにさんざん怒られたと言っていました。それでも無事に生まれた私。「産んで育ててくれてありがとう」と、天国の両親に言いたいです。

仕事と家族に向き合ってきた挑戦の日々

結婚するときに母が持たせてくれたアルバムがあります。普段あまり見ないのですが、開くと私は「愛されていた」と改めて思います。結婚式の写真で終わっているアルバム。それからの36年は、私にとって「仕事」と「自分の家族」に向き合う挑戦の連続でした。 時には現実逃避しそうになった夫の背中を支え、時には子供たちの進む道を一緒に模索し……。がむしゃらでしたが、家族全員がそれぞれの場所で、プロとして自立している今「よく頑張ってきたね」と自分に言ってあげたい気持ちです。

中学生だった娘と、お風呂で話したことがありました。「仕事をしながらでも、自分探しはできるんだよ」と。その時の話した内容を完全コピした娘が、学校の弁論大会(リベート)で堂々と語り、称賛を浴びた時の誇らしさは今でも忘れられません。高校は進学校に進み、国立大学医学部を卒業して臨床検査技師になった娘は、間違いなく自己肯定感があります。 息子も、紆余曲折ありましたが、今では正社員として立派な社会人になりました。家族を引っ張ってきた日々は、私の宝物です。

新婚当時の亭主関白に対峙する、義母の早死の真相

新婚当時の夕ご飯の時、夫に『まずいものを並べるな』と言われました。このショックは今でも胸が痛くなります。晩酌は焼酎を飲み、作ったおかずはつまみとなり、ご飯のおかずが無くなります。大量に飲むのでご飯は食べられなくなり、お風呂に入り眠ってしまう、体にとって危ない生活をしていました。5歳上だからと言って、上から目線での物言い、見下される屈辱。九州男児の夫はやはり亭主関白で大嫌いな父のような大酒飲みでした。でも私は泣き寝入りは絶対にしない。九州のお義母さんが、台所で泣いていたと聞いたことがあり、そんなにひどい舅なのかと知りました。お義母さんが67歳でがんにより亡くなった事実。義母の危篤を知らされて病院に駆けつけた私たち家族は、小さくなって「氷ちょうだい」と苦しんでいる義母を見て、涙が出ました。翌朝の早朝に息を引き取った義母。義父は涙は一切なく、「最後は脳死状態だったばい」と笑みを浮かべて言った鬼のような人。恋愛結婚で結婚したのに、台所で義母を泣かせるなんて、生活費を渡さなかったのではと思いました。20年後に義父が亡くなったときに、遺産として山林を二つ所有していました。生活費も渡さなかった義父は、こっそり山林を購入していたのかと思った時に、怒りがこみあげて来ました。台所で泣いていた義母は、涙を拭いてスーパーで働き始めたのでしょう。私は義母のような生き方は絶対にしないと決めました。

義父は一見優しそうに見えて、その実、恐ろしい支配者でした。義母にがんが見つかった時、義父が真っ先にしたのは治療のサポートではなく、葬儀屋への積立でした。義母にアガリスク茸を煎じて飲ませて、寿命が延びたと喜んでいた義父。私は結婚前に、福岡の義実家に挨拶に行った時、親戚の子にお年玉を渡しただけで、一族から『非常識』と責められました。なぜ?お年玉って子供に渡す物でしょ?親に渡すの?九州はそれが常識なのかとカルチャーショックでした。玄関にあった電話でタクシーを呼んで、この結婚は今すぐやめよう、と頭をよぎったあの直感は、正しかったのでしょうか。

義母のお葬式の前に、葬儀屋との話を家族全員で聞いていました。葬儀屋へ積み立てたのは50万円程だったようで、お葬式の見積もりは、100万円程でした。義父は、葬儀屋に積み立てをした際、これをやれば葬儀代はダダになると聞いたのにと言う、それでも元銀行員か?と思う呆れた私。夫の性格の原点はここなのだなと目撃した、普通に見えたこの家族の本当の『がん』は義父の性格でした。

夫の実家は、お金に対して異様にケチで歪んでいました。でも私は、実家の毒親から脱出するためにこの結婚を決めた以上、絶対に逃げるわけにはいかなかった。夫に舐められないように仕事を続け、育児をさせ、給料を押さえ、かつて義母を台所で泣かせた義父の血縁を、私はこの3つの鉄則で完全に断ち切りました。

子供は「面倒を見ないと懐かない」と釘を刺して育児をさせる(父親としての自覚を植え付ける)
財布の紐(給料)は私が完全ににぎる(主導権の逆転)
お小遣い3万円を貫く(お金への歪んだ執着をコントロールする)飲み会、大物は事前相談する。

この3つを定年まで貫きました。今現在も同じです。退職して無職だった頃は、小遣いは1万円でいいと言いました。私の地雷を避けていたようですが、働かざる者、呑むべからず、です。

また、子供が小さい頃、生活で精いっぱいだった時に、金融機関に勤めていた義兄が、積み立ての保険でローンを使った5年満期の保険を当然のように契約させようとしましたが、保険を知っていた私は断りました。いくら身内でも、無理やり加入させようと頭数を揃える義兄に、反旗を翻しました。ケチな一族にはケチで対抗する。私の防衛戦略です。こんな義実家とは付き合わない。家を建てて住宅ローンのボーナス払いがあるので、九州には帰れません。夫に、「帰りたいなら一人で行けば?」と冷たく言いました。それから10年以上、九州に帰ることはありませんでした。

貧乏だからおやつが無かった夫の子供時代

夫が小学生の頃は、家には義母は仕事で居ない、おやつもない寂しい幼少期だったようです。夫のとぎれとぎれの話をつないだら、だんだんわかってきました。夫の寂しかった幼少期。そのせいで子供の頃に「放置」されたので、自分の言い分を絶対に聞いてもらおうとする、自己主張が強いわがままな人間になったのだろうと思います。貧乏だからお菓子が無かったのはかわいそうですが、毒親に虐待された私の幼少期よりマシです。今でも子供っぽいことを言う夫は、誰も相手にしてくれない、子供時代の寂しい想いをするのが嫌でたまらなくて、ひとりにされることが一番嫌いなようです。それでも私や子供たちに優しい言葉をかけるわけでもなく、きつい物言いで嫌われていました。長女は、親父の面倒は見ないけど、おかあさんの面倒は見るからと言ってくれたり、息子も、父を「あいつ」と呼んでいた、尊敬の欠片もなかった家庭でした。会社でもうまく行かない、家庭でも孤立する、この男の人生は身から出た錆であることを、定年になるまで理解できませんでした。

うちは居酒屋じゃねーんだよ!!

私の父親が酒癖が悪く、毎晩晩酌して、大声を出すのが夫と同じです。いい加減に晩酌を止めてほしいのですが、65歳まで続いた毎晩の晩酌で、モラハラかと思う物言いで、とうとう私がブチ切れました。
「うちは居酒屋じゃねーんだよ‼」「いつまでも飲んでんじゃねーよ!!」
kindle本にも書いた、地獄を見たことのある私は、旦那のそんな酒癖の悪い人間に、絶対に負けない、許さないと決めて、泥酔の亭主関白の夫と戦ってきました。そのことも書いた私のkindle本があります。もしよかったら読んでみてください。理不尽な要求には答えない、モラハラ夫との対峙を書きました。

今でこそ、こうして夫に対して「うちは居酒屋じゃない!」と言い返せる私ですが、ここに来るまでは本当に長い長い地獄のような道のりがありました。新婚時代の強烈な亭主関白、毒親からの逃亡、そして何より、2度の流産と、お腹の中でわずか4ヶ月で亡くなってしまった我が子との別れ……。
半魚人のようになってしまった我が子の棺を開けることすらできなかった私は、完全に絶望の底にいました。そんな私たちが、どうやって36年かけて夫婦の絆を結び直し、家族を再生させてきたのか。

ブログの枠には収まりきらなかった、我が子との涙の記憶や満員電車で闘う夫とのリアルな葛藤を、1冊の物語に込めています。今、夫との関係や人生に迷い、苦しんでいるあなたへ。この本が、あなたの心を少しでも軽くする雨宿りの場所になれたら嬉しいです。

📖 Kindle本『半魚人の我が子を抱きしめて: 絶望の底から夫婦で紡いだ、36年目の家族再生バイブル』望月 凛(もちづき りん)という私のペンネームで書きました。

お互いに「よくもったよ」と言う、おかしな仮面夫婦

去年の結婚記念日に、お互いに「よくもったよ」と言い合う私たち夫婦。お前が言うなという感じですが、共働きで忙しくてストレスも多く、よくケンカをしていました。でもその度に、夫の本音がわかる、私の本音を伝えられることで、他人だった関係が、「身内」というかけがえのない関係になってきたと思います。2月のバレンタインで、私は何もチョコレートなど渡していない、無視した状況だったのに、3月15日にはクッキーをプレゼントしてくれました。夫は、誕生日や結婚記念日には必ず気持ちを形にしてくれました。夫のはっきりとした言い方が苦手な私。キツい性格なのか、頑固でわがままなことを言う夫に、初めは慣れない新婚生活から、こんな人だったの?と幻滅することが多くありました。子供ができて、娘と息子が生まれて、後に孫も生まれて今に至りますが、今年で早くも結婚36年になります。現役並みに働く65歳を過ぎた夫と、61歳の私は、ようやく「幸せの意味」が分かるようになりました。それは共働きで忙しすぎた頃にはわからなかった私たち夫婦。これまでの努力は、私が今、働かなくても大丈夫なほど、経済的にも精神的にも安定し、笑顔で家族と向き合えるようになれたことで報われました。今のこの幸せは、共に働いてきた時期に精いっぱい努力して、稼いだお金で住宅ローンを払い、子供の塾代も払い、まともな家庭を築いてきた長年の努力から生まれたものと確信しています。今日を大切にしてこれからも逞しく生きていきたいと思います。

出世するには、与えられた仕事に能力を絞り出す

夫は定年時に、最後まで「好きな仕事をさせてもらえなかった」と言いました。好きな仕事とは何でしょうか。その前に、会社の要求を果たさないとダメでしょう。会社見学のご案内役を頼まれた時に、夫は「それは業務範囲ですか?!」なんて言ってしまう、空気が読めないKY。好きな仕事ではないけれど家族を養い生きていくために働いている中で、自分のベストを尽くしたことが反映されているならそれで良いと思います。自分の思い通りに好きな仕事を与えてもらえるのは、与えられた仕事をこなして認められてから、初めて望む仕事をさせてもらえるかもしれないという事が分からなかった夫。すでに退職した後に気が付いても遅いです。最低でも定年までに、その態度を改められたら、再就職の話を好条件でもらえたかもしれません。後から聞いた、年収300万円の再雇用の話を断った話を、初めて聞いたとき、それが夫の本当の評価なのだと思いました。

私は、保険業界では通算22年、その他の分野の仕事は5年ほど働いてきましたが、「この仕事」が好きだからやっていたわけではなく、保険代理店の資格を持っていたので、それを活かすこと以外に考えられなかった。与えられた仕事を、自分の担当として責任を持ち、精いっぱい努力した結果、上司に認められ周囲の人たちが喜んでくれたことがとてもありがたく、自己肯定感が上がったように思います。脳をフル回転させて自分の能力を絞り出し、その結果として今の仕事が「天職だ」と思えるなら、それは人生における「奇跡的な出世」ではないでしょうか。仕事に対して好き嫌いをしている子供っぽい夫は定年まで治りませんでした。

私は保険業界や派遣で仕事をして家庭を守りながら、また難病と言われた病気を治療しながら生きて来て、たくさんの学びを得てきました。脳に溜まったそれらの経験談を、ブログを通して世界中の皆様に読んで頂けることは本当に素晴らしく、今まであり得なかったものです。20年以上のキャリアを経て、インターネットという大海原で、経験という宝船で世界に向けて航海できること、読者の皆様がいつも読んで下さることが何より嬉しく楽しい執筆活動です。今この現実がとてもありがたく、私の「出世の証」だと思っています。

お勧め内部リンク:『スピンオフ舞台裏【うちは居酒屋じゃねーよ!!】』も書きました。
モラハラ夫の実態をお伝えします。結婚36年目で初めて言えた、居酒屋じゃねーよという言葉。
その背景にあった私の忍耐と、関白亭主の実態です。焼き鳥のアイキャッチ画像の記事です。



過酷な子供時代から今までの苦労をkindle本にしました。もしよろしかったらお手に取ってご覧ください。
出すぎた杭は誰にも打てない: ~15万円の牢獄から、自由の8万6千円へ~望月 凛

毒親に育てられた、過酷な子供時代を書いたkindle本もあります。
『親の呪縛は関係ない: どん底から這い上がった私のメンタル再構築術』望月 凛
この本は、地獄を見て来た私の告白です。どんな地獄だったかわかります。

ここまでお読みいただきまして、ありがとうございます。
皆様の人生が、大海原を航行する大きな豪華客船のように、美しく豊かで幸せを感じられますように。

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